ホーム
イベント
グルメ
移住
観光
民泊
産業
写真
FB

Kuji Portal Site

I learned a lot of things while interviewing a person that moved to Kuji-City.
If you are planning to visit Kuji, please use this as reference!

インタビュー

久慈市山形総合支所
ふるさと振興課
地域おこし協力隊

宇部芳彦さん

動画で見たい方はこちら(MP4形式)

th_ube
ph_ube01

2015年6月より地域おこし協力隊でご活躍。

ph_ube02

―久慈に来たきっかけは?

私は久慈市宇部町の出身なんですが、東京の中央大学を卒業して以来、途中フリーライターとして独立して活動していた時期もありますが、そのまま久慈に戻らずにずっと東京の出版社で編集者として働いていたんです。出版社でやっていたのは月刊誌や単行本をつくる仕事。企画し、取材し、原稿を書き、そして編集するといったように一連の編集業務を行っていました。ですから、日本各地、また海外を取材で飛び回っていまして、久慈に戻ってくるっていうと5年に3日とか10年ぶりとかだったり、そんな関係でした。
当時、宇部小、宇部中は私がいた頃は150人ぐらいいたんです、全校生徒が。今では全校生徒が宇部中で15人とかそういう状況になってるなか10年ぶりに母の葬儀で帰ってきた時、バスでの移動中、久慈渓流がぽんと目に飛び込んできたんです。…ものを言えなくなってですね、涙が出てきたんですよ、あーって。俺、ここで生まれたんだよなっていう感覚です。
それでも母親の葬儀から戻ったあとは、またやっぱり全国各地の取材にでる訳ですよ。締切に追いまくられる毎日ですね。ある種、年取ったせいもあるのか、疲れたっていうこともあったんでしょうね、一旦、そんな思いがあったのか、久慈に戻ってきました。
その頃はまだ久慈と関東を行ったり来たりしながらやってました。そのうちに久慈市が地域おこし協力隊を募集してるっていうのが分かりまして、地域の為になりながら生きていけるだろうし、こっちで出版なり、ライティング活動するにあたっても、人脈も出来るだろうし、私の田舎ですから、ここに貢献して、ここの地域でやっぱり暮らしていけるのがいいんだろうなって思いました。

ph_ube03

―久慈に戻ってきていかがですか?

山形の広報誌の制作を今やってますね。昔の状況が分かってましたが今は知らないこともありますので、教えて頂きながら。自分の田舎とはいえ浦島太郎的なことがあるので、日々勉強してるので、神経は使いますね。ただ、良かったなあと思うことは、私は、久慈市の生まれなんで、久慈弁は分かると!地域外から来られている協力隊員の方もいらっしゃる訳ですけれども、彼らは多分、早口で久慈弁をまくし立てられるとニュアンスが非常に取りづらいんじゃないかなと、その点私はアドバンテージがあるので、上手く記事に反映したいとは思ってます。
フェイスブックでの情報発信もやってるんですが、これを媒体にして情報流すというのが初めてなんです。最初にぱっと見れる文字数や画像数って限られますよね。フェイスブックに適合したスタイルっていうのもあるんですが、紙媒体であろうが、どうとらえていくか、っていう世界で、内容が変わる訳ではないと思います。ただ、掲載も反応も早いので、あ、こんなことに今、皆さん興味があるのかなとか、ああこういう写真なんか載せると人気がある、読んで頂きやすいのかなとかって、参考には出来る様な気がします。
でも、きちっと書き込んで、きちっと伝えてくっていう、その中で共感をどれだけ得ていくか、っていうことを考えるとやっぱり長めの媒体の方が有利なんだろうと思います。フェイスブックの効果的な使い方っていうのをこれから考えていかなきゃいけないんだろうなあと思ったりすることもありますが、ただ基本は変わらないだろうというふうに思います。

ph_ube04

―移住を検討してる方へひとことお願いします。

私は全国各地、取材で巡り歩いたという経験があります。例えば自然が美しいとか、食べ物が美味しいんだ、どこも売り物にしますよね。で、確かにその通りですよ。美味しいし自然が綺麗です。で、じゃあそれと久慈が何が違うんだと、いうことですね。それに於いて差異はないと思いますよ。どこでもつまり、どこも素晴らしいということです。じゃあ何故、そういう中で定住を、あるいは、観光にこようかというと、そこにストーリーがくっついてますよね、久慈なりのストーリーが。
北限の海女さん文化とか、あるいはあまちゃんというドラマで、何か面白いねという、物語がくっついている、あるいは文化的背景があったり、その土地の人が関わっているとそれにくっつくことによってそれは久慈オンリーなものになる、で、その時にそこに共感してくれた人が久慈を目指してくれるんだと思うんです。まめぶなんてのもいい例ですよね、山形町ではもうずっと昔からあったと聞きましたけど久慈に居る時はまめぶの存在実は知りませんでした。久慈市民でもあまちゃんで見て、まめぶっていうのがあるっていうの、テレビから教えてもらったぐらいです。まめぶにストーリーがくっついたお陰でまめぶは今久慈にあるんだってこと知らない人は多分全国でいなくなった、やっぱり、そういうことだと思うんです。だから私は、重く考えないでね、一度来てみてくださいと言いたいです。出来るだけストーリーごと語る様な発信を私はしていきたいと思うし、私の生まれた町なんで、他の地域の人から、いい町だね、宇部君って言ってもらえると、私がやっぱりここに住んでてよかった、と思うんじゃないかなと。というか、それが喜びだと思うんですよね。久慈なりのストーリーに共感して頂ける人は、あんま重く考えないでいいですから、興味あったら来てみてください。
今の協力隊としての活動はやっぱり自身の土地にいながら喜びに繋がっていくもんだと思って今はやってます、だから、ストレートに今、外の人に向けて、住んでくださいとか、ここがいいですよと、なかなか答えられない浦島太郎ではあるんですが、そういう部分を皆さん方にお伝えする様にしますので、興味があったらね、軽い気持ちで遊びに来て頂けると嬉しいです。

インタビュー一覧

HOME