岩手県久慈市
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市政情報

宇部隊員の紹介



 久慈市の地域おこし協力隊として2015年6月から山形総合支所ふるさと振興課に勤務し、この4月からは本庁舎の地域づくり振興課に配属されている宇部芳彦(うべ よしひこ)さん。情報受発信で地域のお役に立ちたいと話している宇部さんに、その活動の実際を聞きました。

久慈渓流は心の風景

 ―― 宇部さんは昨年6月に協力隊に就きましたので、現在およそ1年半が過ぎました。昨年は山形総合支所でFacebook「久慈市山形町広報室」や「やまがた総合支所だより」などの情報発信活動を手がけていて、今年は地域づくり振興課に籍を置き「協力隊通信」の発行や、「広報くじ」の取材、ブログ「Bird’s-eye view」での情報発信活動などをしていますね。
総じて情報を扱うことに特化した活動をしているわけですが、協力隊に就く以前は何をしていたのですか。
 宇部 私は久慈市宇部町の生まれで久慈高校の卒業です。高校を卒業し中央大学に進学し、卒業後そのまま東京の出版社に就職しました。出版社では月刊誌や単行本の編集者として働いていました。その際に企画して新たに創刊した月刊誌が読者や出版業界から評価を受けたりしまして、34歳のとき独立しフリーライターとして仕事をはじめました。しかし、収入がなかなか安定しないので2年後に再度、別の出版社に就職して雑誌や単行本の企画・編集を手がけるなど、ずっと東京で編集者として働いていたんです。

 余談ですが、編集者という仕事は新しい単行本や雑誌の特集などの企画を立てて、その企画を実現するためのネタを探し、材料を集めて組み上げる仕事です。
 記者と編集者の違いは何か?と聞かれることも多いのですが、記者は読んで字のごとく取材して文章を作ることが仕事です。
 一方、編集者は自ら書かなくてもいいわけです。たとえば、TVドラマには原稿依頼した作家先生のお宅におじゃまして「早く書いてください」と催促する出版社員の姿がよくでてきますが、それも編集者の仕事です。
 ただし、編集者は自らの企画の意図通りかどうか対象を確かめたり欠け落ちている視点はないかどうか検証し、企画に沿った原稿を作成するために、自分で取材して原稿を書き写真を撮ったりすることも多いわけです。一般の方々はそうした取材の場面を目にすることになるので、記者と編集者は同じ仕事だと思うのでしょうね。


出版社時代の宇部さん。座談会のコーディネーター(司会)を
務めることなどもありました。

 私は大学を卒業してから、協力隊に就くまでのあいだずっと編集の仕事をやっていまして、ほかの仕事の経験がまったくありません。ですから、情報に特化して活動するというような高い志を抱いているわけではなくて、それ以外にできることがないんです(笑)。情報を扱うことで、何か地域おこしのお役に立てればと思って活動しています。

 ―― 編集者だった宇部さんが、協力隊員になろうと思った動機は?…
 宇部 出版社は忙しいというイメージだと思いますが、まさにその通りでして、先ほどの原稿催促ではありませんけれども夜の12時に執筆者のところに行って「締切りに間に合わない、待っているから早く書いてくれ」とか、取材で海外や日本各地を飛び回り新幹線や飛行機の中で原稿を書くとか…。そんなこんなで久慈に戻ってくるのは平均すると5年に一度、それも2日くらいでした。

 プライベートのことで恐縮なんですが、実は私はとんでもない親不孝者なんです。母親が危篤だという知らせを受けたときは締め切り間際で、会社でゲラ(下刷り)のチェックをしていました。
 その日の新幹線には乗らずに、次の日の始発の新幹線に乗って久慈病院に直行したんですが、途中「前回いつ久慈に帰ったんだっけ」と思い返したら10年も帰郷していなかった。
 早く久慈に着けと思いながら二戸駅からバスに乗って、窓の外に久慈渓流が見えてもうすぐだと思った瞬間に「俺は東京にでて何をやっているんだ」と…。なんと言えばいいのか、懐かしいというか悲しいというか「あー、俺はここで生まれたんだよな」って涙が出てきたんです。


当時のことを思い出すといつも久慈渓流の風景が浮かんできますと宇部さんは話します

 母親の葬儀が終わって東京に戻ったのですが、そのときの記憶がどうしても頭から離れなかった。「結局、俺は出稼ぎではないのか。俺自身、東京で擦り切れて東京で死んでいくのだろうか」と。
 そうこうしているうちに、東日本大震災があって東京にも不景気風が吹くようになりました。NHKでは「あまちゃん」がはじまり久慈が注目を集めるようになりました。「宇部さんは久慈の生まれだよね。本場のじぇじぇじぇ!を聞かせて」と同僚から言われたりしました。久慈が全国区になるチャンスなんだろうなと漠然と思ったりしていました。

 ―― そんなことがあって、久慈に戻ろうかと考えるようになったのですね?
 宇部
 はい。疲れていたのだと思います。その後、会社を辞めて自分のペースで仕事ができるフリーライターとして活動していましたが、そのうちに久慈市が地域おこし協力隊を募集していると聞いて応募することにしました。
 地域外の人は「あまちゃん」で久慈の情報を受け入れてくれる素地がある程度できているだろうから情報発信などで貢献しながら久慈に定着して暮らしていくのが、いちばんいいだろうと考えました。

 ―― 昨年、宇部さんがよく「久慈渓流は自分の中の田舎の風景です」と話していた理由がよくわかりました。さて、山形での活動を簡単にふりかえっていただけますか?
 宇部 「広報(やまがた総合支所だより)の取材もがんばってほしいけれども、宇部さんはFacebook(久慈市山形町広報室)の情報発信を充実させることにより力を注いでみたら」という意見もありましたので、「土日祝日以外はできる限り毎日Facebook記事を発信することを目標にしよう」と当時、山形の広報担当をしていた職員の中塚剛志さんと話し合いました。

 記憶によれば11月から3月末までの間、土日祝日以外にFacebookに新たな記事を掲載できなかった日は、2日間だけではなかったかと思います。
 私がどうしても記事を書けない日は、中塚さんがフォローして記事を掲載してくれました。地域の行事や催事などがない日は、山形町内各集落の地名の由来をできる限り解き明かす「地名シリーズ」や、山形町でしか作られることのない「おつこ」というおから入り豆腐の紹介をしたりして好評でした。
 ただ、こうしたことが実行できたのは山形町民みなさんのおかげと言えるのです。毎日の掲載を目標にしていましたから、事前の下調べが十分でなかったり、アポイントなしでの飛び込み取材などもありました。でも、みなさんは笑顔で迎えてくれました。とても感謝していますし、故郷の人々は温かいなと感じました。

情報受信機能を強化し全国各地の成功事例を

 ―― 今年4月からは地域づくり振興課に配属になり、「広報くじ」の業務を手伝ったり、「協力隊通信」で協力隊員や集落支援員の活動を伝えていますね。また、10月には新たなブログ「Bird’s-eye view」での情報発信活動をはじめていますね。それぞれについて説明していただけますか。
 宇部 広報くじの取材は私の勉強にとても役立っています。生まれが久慈市とはいえ長く留守にしているあいだに、まちがすっかり変わってしまいました。 
 たとえば、私が高校生だった時代には、いま長内にある大型ショッピングセンターがありませんでした。ですから、久慈は私にとって見知らぬまちに近いんです。

 それを実際に見て、市民のみなさんから状況を教えていただくことができる。何がどう課題になっているのか、あるいは何が地域のお宝なのかを教えていただける。協力隊の任期は3年が最大ですが、任期後に久慈で起業して暮らしていく場合に、人脈も含めてとても大きな財産になると思っています。
 率直に言えば「久慈は何もない田舎だ」と昔の感覚をどうしてもひきずっている自分がいるのですが、「これはいつできたの?なかなかやるじゃないか」という発見もあり新鮮ですね。

 ―― 広報くじの仕事は任期後も久慈で暮らしていく糧になるということですね。では協力隊通信はどうですか?
 宇部 
協力隊通信は、地域おこし協力隊と市の職員のみなさんとのコミュニケーション媒体の必要性を感じたので創刊しました。

 たとえば、協力隊また支援員の誰がどのような思いをもってどのような活動をしているのかわからないだろうし、協力隊員・支援員のプレゼンス(存在感)も上がりません。
 また、私をふくめて協力隊員・支援員が何か具体的に地域おこし活動を進めようという場合、状況をよく知る職員のみなさんがもつ情報を教えていただく必要があります。私たちがよりよい活動をするためには職員のみなさんとよりよい関係を築くことが必須だと思いますので、コミュニケーションを円滑にするツールになればいいなと思って協力隊通信をつくることにしたわけです。

 市民のみなさんとのコミュニケーションについても同じことが言えると思います。協力隊とはどのような存在なのか、何をめざして何をしているのかなど理解していただくこと。そのためには「まず、こちらから発信する」ことが必要なのだと思います。
 現在は、たまたま私が協力隊通信の記事を書くことが多いわけですけれど、ほかの協力隊員や支援員が自身の活動状況を伝えたり、理解や協力を求めたい場合など、どんどん記事を書いてもらいたいと思っています。
 この協力隊通信は久慈市の職員向けの電子掲示板に順次、公開しています。また、久慈市のホームページ「地域おこし協力隊・集落支援員について」のコーナーに「隊員紹介」としてそれぞれの思いや活動概況を掲載しています。ほかにも今後、ホームページの「久慈市地域おこし協力隊活動レポート」などのコーナーに具体的な活動を掲載していく予定です。


旧麦生小中学校を活用した侍浜町の「あーとびる麦生」のケースもブログ「Bird's-eye view」に掲載されています

 ―― 宇部さんが10月に開設した新たなブログ「Bird’s-eye view」についてはいかがでしょうか?
 宇部 取材の合間の世間話のとき山形町の人から「使われていない学校の建物がもったいないね。何かうまくできる方法はないかな?」と言われたことがブログ開設に至ったそもそものきっかけです。地域おこしには情報発信も大切ですが、情報受信もまたとても大切なのではないかと思ったわけです。 
 閉校した校舎の利用に限らず、全国各地のさまざまな地域おこしのケーススタディを伝えることで、市民のみなさんがその地区・地域なりの活性化策を検討する道しるべを得られるのではないかと思いました。

 たとえば、ブログでは高知県津野町床鍋地区の廃校活用ケースを紹介しています。この地区の人口は100人足らずで全36戸のうちの12戸が高齢者の一人暮らしです。しかし、住民が自分たちの課題は自分たちで解決するのだと立ち上がり、廃校舎にコンビニ、居酒屋、宿泊機能を設けて再生させ数多くのイベントを開催しています。宿泊者だけで住民の10倍の数、年間1,000人を集めています。
 このように、地域課題解決に向けた全国の成功事例を調べて市民のみなさんに伝えることによって久慈が幸せな方向に向かえば、私自身もそれ以上にうれしいことはないわけです。
 今後も、こうした情報を久慈にもってきたいと考えていまして現在は新たな取材企画を進めている最中です。
 記事はブログに加え久慈市ホームページの「久慈市地域おこし協力隊活動レポート」にも掲載していますから、ぜひ見てくださいね。

 ―― 最後に質問します。宇部さんにとって「地域おこし」あるいは「地域おこし活動」とは何なのでしょうか?
 宇部 
ある人に「宇部さんの書いている記事はつまり、コミュニティを活性化させようよということですね?」と言われました。さまざまな事例や出来事をレポートしているけれどもすべての記事に「コミュニティ活性化の狙いを感じた」と言うのです。自分では気がつかなかったのですが、その通りなのかもしれません。

 その地域で暮らす人が心の底から「ここに住んでいてよかった」と思っていれば地域おこしは必要ないと思います。しかし、地域にも人生にもさまざまな課題があってそれを解決しようと多くの人が懸命に生きています。
 だから、地域コミュニティ、つまり一人ひとりが関係を結んで生きている地域社会が元気であってほしいし、コミュニティを構成する個々人が自然な笑顔で毎日を過ごせるようになればいいなと思うのです。地域おこし活動とは結局、その地で生きている人が幸せになることに向けての支援活動をすることであり、たとえば私の場合は情報を扱うという特技を活かして少しでもそのお役に立てればいいなと。

 最終的には「この地で生きてくることができてよかった」と一人ひとりが最期に思えるならばそれが何よりも幸せなことだと思いますし、それは私にとっても同じです。ですから地域おこし活動は、自身の幸せづくりのために行なっているのだと私は考えています。
 ―― 今後も協力隊活動を精力的に進めてくださいね。今日は長時間ありがとうございました。

※収録2016年11月15日 聞き手/広崎寿(地域づくり振興課)











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