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田端隊員の紹介
日本一短い市名をもつ三重県「津」市出身の田端涼輔さん23歳。2018年4月1日、新たな地域おこし協力隊として山根市民センター勤務を開始しました。
津市は三重県の県庁所在地で人口約28万人の都市ですが、田端さんは人口323人(平成27年国勢調査)の山根地区活性化に向けた活動を進めます。
絶対に戻ってくる
―― 久慈市地域おこし協力隊の仲間に4月1日、田端さんが加わりました。田端さんは三重県津市の出身ですね。
田端 津から幼稚園のころに東京に引っ越しましたが、小学校2年生のときに津に戻り、大学卒業まで津で暮らしました。大学は愛知県春日井市にある中部大学で、片道2時間かけて自宅から通いました。
―― 大学を卒業したあとは何をやっていたんですか?
田端 名古屋にあるアイトップスという会社で営業マンをやっていました。
この会社は中央出版の系列会社で、「ペッピーキッズクラブ」という子ども英会話教室を全国で1300か所ほど運営しています。八戸にもあるので聞いたことがあるかもしれません。英会話教室に入会してくださいという営業とともに教材販売をしていたんです。トーク技術や態度、メンタル(精神)面でかなり鍛えられました(笑)。
―― その田端さんがなぜ、久慈に?
田端 大学3年生のとき、米国からの留学生たちと一緒にボランティア活動をしました。これは大学のカリキュラムの一環でもあったわけですが、東日本大震災の復興ボランティアということで2015年9月中旬に、被害のひどかった大槌や陸前高田、釜石、宮古、そして久慈など岩手県の沿岸各地を回ったんです。
震災から時間が経っていましたから、ガレキはほぼ撤去されていましたので、私たちは菜の花を植えて仮設住宅から見ていただけるようにしたり、水を配るボランティアをしたり、住民のみなさんとお茶会を開いたりしました。
―― 何人くらいで?
田端 うちの大学からは留学生を含めて12人くらい、そのほかに岩手県立大学の学生とも一緒になって活動したので総勢35人くらいでした。
―― 震災のあとを実際に見ていかがでしたか?
田端 私は携帯電話でグーグルマップを見て、地理を確認しながら現地を回ったんです。グーグルマップは更新されていなくて、画面には震災前の町の姿が表示されました。だから、いま見ている景色とは一致しない。津波で流されて荒涼とした更地がただそこに広がっていた…。
すごいことが起きたんだと思い、泣きながらバスの窓の外を眺めていました。
―― それだけ衝撃的な光景だった…
田端 でも、お茶会などで被災した人たちと会ったら、みなさんが素敵な笑顔で接してくれました。元気づけてあげたいと思っていた私たちを、「どこからきたの」「大学ではどんな勉強をしているの」「夢はきっと叶うよ」と逆に励ましてくれたんです。
県立大のみんなとは、ボランティア活動を通して親しくなっていました。私は、いちばん仲良くなった友だちに宣言しました。
「俺は絶対に岩手に戻ってくる。一生のうち1回は必ず岩手で仕事をする!」って。
やさしい目の人たち
―― その思いが久慈と田端さんを結びつけたんですね。
田端 そうです。ただ、大学を卒業するときには現実を見て就職せざるをえなかった。私は英語を学んだので、名古屋の英会話教室の事業をやっている会社へと進んだわけです。
でも岩手への思いは断ち切れなくて…、ある日インターネットを検索していたら「久慈市地域おこし協力隊」の募集がヒットしました。
―― いつごろですか?
田端 去年の12月です。応募書類を提出して書類審査を通過したと連絡をいただいたので、1月中旬に久慈市役所に面接にきました。
面接の前日に久慈入りして、小袖の「海女センター」に行ったり、山根の「べっぴんの湯」に入ったりするなど市内各所を見学して回りました。
海女センターのカフェでお昼を食べようとあてにしていたんですが、あいにくその日は営業していなかったんです。
困った顔をしていたら海女クラブのかたが「塩サケとカップメンでよかったらあるけれど」と言って目の前に持ってきてくれて、「ただでいいから」とお金を受け取ってくれませんでした。
―― そうして、面接試験に合格して山根市民センター勤務になったわけですね。山根の古民家を借りて住んでいると聞いていますが、実際に暮らしはじめていかがですか?
田端 目の表情が名古屋とは違いますね。名古屋は行き交う人々の目が「忙しい」と訴えてきます。本当に忙しく動き回っているし、自分もそうでした。
一方、久慈や山根の人の目は、どこかやさしさを含んでいます。忙しくないことはないのでしょうが、忙殺されているといったような目はしていません。心に余裕があると言うのか人のことを思う余地があると言うのか、そんな目です。人間らしく生きることができる土地だと感じています。
―― 目の表情で当地の特徴を話す人に、はじめて会いました。
田端 それと夜がとても静か、ゆっくり爆睡(笑)しています。こういう環境が私にはとても合っています。山根にきて心身ともに、すくすく健康です。
あらゆる手立て総動員 ~カフェ計画着々と~
―― 田端さんの山根市民センターでのミッションを教えてください。
田端 一つはSNSで山根の「情報発信」をすること、もう一つは「カフェ」をオープンさせること。名称は現在、仮称で「山根カフェ」と呼んでいます。
山根の人口はいま300数十人ですが、これらによって「山根の人口をふやそう」と山根市民センターの多喜代所長や職員の中村さん、小林さんたちと話しています。
―― SNSの情報発信は具体的には…?
田端 Facebookやインスタグラム、ツイッターで地域行事や観光資源などを、1日1回あるいは2回の頻度で発信しています。掲載した記事はたとえば、山根の一本桜はいま何分咲きになっていますとか、市民センター職員の日常活動とか。
山根のイベント、自然、食、人などなんでもPRして、山根に目を向けてもらいます。
―― もう一つのミッション「山根カフェ」は、協力隊卒業までの3年を見据えて取り組んでいくプロジェクトですよね?
田端 いいえ、来年(2019年)4月にオープンさせます、遅くても5月に。
―― ちょっと待ってください。田端さんはつい先日(2018年4月1日)協力隊に就いたばかりですよね。…来年の4月?
田端 そもそもから言いますと、協力隊の募集要項に「古民家を活用したカフェをオープンさせること」というミッションが書き込まれていました。
そして、私の夢は「カフェ」をやることだったので、岩手で職を得たいという思いと重なりとても幸運でした。ピンポイントで望んでいる方向に人生が展開した、幸運を絵に描いたような出来事です。
―― しかし、いくらなんでも急展開すぎるように感じますが…
田端 カフェを計画している物件はもともと、多喜代所長(=久慈市)が山根の活性化を図るため移住者用の住宅を探していたところ見つかったもので、昨年1月に空き家になった民家なのだそうです。
そして現在は、私が住んでいます。今回、私が山根にくるにあたり、支障のあるところを修繕してくれました。
場所は、年間8万人を集客している「べっぴんの湯」へ行くアプローチ道の入口にあり、山根市民センターからも30メートルの位置、つまり山根の中心部、一等地に立地しています。
大正2年に建てられたこの建物はかつて、旅館や郵便局をやっていたこともあるといいます。とても趣のあるたたずまいをしていますが、私は特に2階の和室のレトロな雰囲気が気に入っています。
山根の活性化のためにこの物件を活かさない手はないんです。
―― いくら修繕ができているとはいえ、それでもカフェにするには少しばかりのお金が必要になるのでは?
田端 私の(協力隊としての)活動費で、それは手当します。自分たちの手でできるところはDIYで改修します。知恵を絞り、ハード・ソフトともにあらゆるつてを総動員してつくりあげていきます。
―― オープンまでのタイムスケジュールはできているのですか?
田端 スケジュールの大枠は多喜代所長が組んでくれました。でも、詳細は田端君に任せるよと言っていただいています。
具体的に言いますと、夏までに外装・内装のイメージプランをつくります。
これは岩手県立大学デザイン科の学生とのコラボを考えていまして、すでに協力のお願いをしています。まだ、はっきりとOKの返事はいただいていませんが、むずかしいとの返答がもしあった場合は、デザイン科出身の人にお願いしようと思っています。
―― どのように建物を使いますか?
田端 1階と2階の一部を店舗にします。外からの人を迎えると同時に、地域の人たちがいつでも集まれるような空間に、そして、和の良さを残しつつ洋の雰囲気も醸し出す、いわば和洋融合を考えています。
プランができあがったら、店への改造・各種許認可手続きなどを行い、実際の改修は冬の期間に実施します。
―― 提供するメニューは? 誰が料理をしますか?
田端 地域のかたがたとの会合が近々にあります。その会合では、たとえば地元料理を教えていただきたいとか地元農家さんからの食材提供をお願いしたいとか、さまざまな支援やご協力をいただけるようお話しさせていただきたいと思っています。
カフェの正式なネーミングも、みなさんから募る予定です。
料理は、山根の独自色をだしたものを提供します。たとえば山根地区には山菜も多く、前協力隊員の清水勇さんと地元が復活させた山白玉大豆もあります。これらだけに限らず山根のものを使った山根らしいオリジナルメニューを開発していきます。一方、地元の人向けには洋風の料理なども提供したいと思っています。
そして、料理をするのは私です。
7月には学校給食センターに受け入れてもらい、食品衛生管理などを勉強します。また、久慈市内に「Zoo‐Zoo CAFE」(ズーズー・カフェ)という喫茶店があり、週末など休日に定期的に通って修行させていただきます。
―― カフェとはいえ、地元料理レストランのようなものと考えたほうが近いですね。
田端 コーヒーも美味しいものを提供します。
名古屋に住んでいる私の友人に、カナダへ「コーヒー留学」した人がいます。美味しいコーヒーを追いかけてカナダまで行き、コーヒー専門店で働いた人です。
ある程度、計画が進んできた段階でその友人を山根に呼び寄せて、カフェの手伝いをしてもらおうと考えています。
―― 完璧ですね! 実現するかもしれない…そう思えてきました。
田端 実現するよう、自分のもっている力を最大限に発揮するつもりです。
―― なるほど、これからどんどん忙しくなっていきますね。
田端 私は高校までサッカー部で、プロのサッカー選手になることが夢だったんです。大学のときには小学生サッカーチームのコーチをしました。
実はいま久慈でも、長内地区の小学生サッカーチームのコーチをしています。火・水・金曜日の17時45分から2時間くらいですが、これは仕事とはまったく関係ありません、生活の一部です。
子どもたちに自分の夢を託したいという思いもありまして、この時間はとても楽しいんです。
仕事でもプライベートでも大好きなことをやらせていただいている。だから、忙しくても幸せです。
―― 前向きな田端さんの言葉に私も元気をいただきました。ありがとうございました。
※インタビュー2018年4月17日 聞き手・文/宇部芳彦(久慈市地域おこし協力隊)
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