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三陸ジオパーク

三陸ジオパーク

三陸ジオパークは、平成25年に認定され青森県・岩手県・宮城県の沿岸16市町村から構成されています。

久慈地域は、ジオサイトが点在しており、2億年以上前からの地球活動で形成された貴重な地質・地形・生態系がみられ、人々の暮らしを支える大地の恵みのみならず、自然災害と共生する人々の知恵を伺い知ることができます。

侍浜海岸や小袖(久慈)海岸では、約1億3千万年前に地下深くでマグマが冷え固まってできた花崗岩類が大地の隆起により地表に現れ、太平洋の荒波に長年浸食されてできた段丘崖やゴツゴツした岩が複雑に入り組んだ岩礁地帯を見ることができます。

陸部では、変動する地球の証である海洋プレートの移動によって遠洋から運ばれ、ユーラシアプレート縁辺に付加された、チャートや枕状溶岩、石灰岩などの岩石群が観察されます。また、後期白亜紀の陸地付近で堆積した岩石からは、琥珀やティラノサウルス類を含む恐竜の化石などが相次いで発見されています。

代表的なジオサイト・みどころ

つりがね洞/小袖海岸

つりがね洞

つりがね洞は周囲約270m×高さ約50m程の岩礁島で、その傍らに大きな海食洞が空いています。かつて、洞の上側には釣鐘状に岩がぶら下がっていたと言われています。

このつりがね洞には、夫婦間の強い絆を物語る言い伝えがあり、夫婦が死んだ時には、この場所で落ち合い、二人で釣り鐘を鳴らして極楽浄土に旅立っていくと言われています。つりがね洞の一帯は、断崖や奇岩怪石が数多く点在し、"浄土ヶ浜(宮古市の浄土ヶ浜とは別)"と呼ばれる小袖海岸を代表する景勝地として知られています。

夫婦岩/小袖海岸

夫婦岩

夫婦岩は、およそ1億3千万年前(前期白亜紀)の溶岩や火山灰から成り立っており、高さ20m程の岩肌に"柱状節理"を観察することができます。夫婦岩にしめ縄が渡されたのは平成8年頃で、ふたつの大きな岩にしめ縄を渡し、男岩の頂上に赤磯大明神の祠を祭ったものです。しめ縄は東日本大震災での津波でも切れなかったことから、「奇跡の縁結びしめ縄」と呼ばれ、夫婦間の強い絆を象徴する岩と言われています。

赤浜展望台(長内町)

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標高20m程の岬の先端に位置し、北に久慈湾全域、南に小袖海岸の浄土ヶ浜付近までの大パノラマを眺望できるビューポイントになっています。また、展望台の周辺にはさまざまな草花が自生しており、春から夏にかけて開花して、海岸に華やかな色彩を添えています。

鏡岩/久慈渓流(大川目町)

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久慈渓流は久慈川中流域に位置し、久慈平庭県立自然公園に指定されています。鏡岩は、もともとは大昔の遠洋にいたサンゴなどの生物の死骸が溶けて石灰岩となり、それが大陸縁の一部となったもので、地殻変動によって90度近く傾いたまま隆起し、その後河川によって浸食されることで地表に現れました。近くには、希少金属「モリブデン」鉱山跡や石灰岩が熱の作用を受けてできた「大理石」などの多様な鉱物が分布しています。

侍石/侍浜海岸

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侍石は浅海の海食棚が隆起した天然石畳で、およそ1億3千万年前(前期白亜紀)の花崗岩でできており、岩には、人や牛馬の足跡のような灰黒色の大小斑点模様があります。侍石には、源義経北行伝説に繋がる言い伝えが残されており、慶長19年の三陸津波に、南部藩主南部利直が被災漁村を巡視した際に、義経ゆかりの侍石で休憩したと言われています。

古第三紀の野田層群(半崎地区)

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久慈湾内前浜(砂州)の北端に位置し、高さ60mほどの大断崖は、”野田層群"と呼ばれる地層に含まれ、約6,300万年前の亜熱帯性気候だった時代のものが堆積したものと考えられています。当時の火山灰に埋もれていた立木化石(太古の森の化石)や亜熱帯性のソテツ類を含む50種類以上の植物化石をはじめ、小粒な琥珀や、石灰や耐火粘土など地下資源が産出されています。

下戸鎖の枕状溶岩(山根町)

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下戸鎖の川又川下流域の崖や岩場では、球状の溶岩が折り重なった見事な「枕状溶岩」が見られます。この岩石は、大きさが10cm~1m程度の球・扇状をした溶岩の集まりからできており、その断面の形状が枕を積み重ねた様子に似ているため、枕状溶岩と呼ばれています。

もとは2億年前前後(後期三畳紀)に遠洋の海底火山の噴火で海中に流れ出した溶岩で、海洋プレートの移動により運ばれてきたものです。

内間木洞(山形町小国地区)

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国内屈指の長さを誇る巨大鍾乳洞で、絶滅危惧種のテングコウモリなどが生息することから、岩手県指定天然記念物になっています。洞窟周辺は、中生代三畳紀に堆積した石灰岩でできており、その後の地殻変動により地上まで隆起し、雨や地下水により浸食されて、巨大洞穴が形成されました。年に2回限定公開されており、2月下旬には洞内天井から落ちる水滴が凍ってできる氷筍(逆さつらら)群が見られます。

琥珀坑道跡(枝成沢地区)

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碁石くんのこほっぱ跡(薫陸(香)堀場)は、昭和初期から終戦前までの琥珀採掘坑道跡の一つで、枝成沢住民は、通称"じゃぐじゃぐ石"と呼んでいます。昭和10年代、軍需物資(燃料や絶縁体開発など)として久慈地方一帯から大量の琥珀が採掘され、貨車で中央に出荷されていました。中でも枝成沢地区は琥珀含有率が高いことから、江戸時代以降の琥珀採掘坑道跡が多数残り、この坑道跡内壁の炭質泥岩層にも大小多数の琥珀を観察することができます。久慈地方の琥珀は、恐竜時代の堆積岩"久慈層群"(約8,500~9,000万年前)から算出し、古くは縄文時代からの採掘利用の歴史を持ちます。琥珀の埋蔵量は数万トンと言われ、今もなお採掘され、宝飾品の加工生産などが行われています。

中長内遺跡(長内町)

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中長内遺跡は、昭和59年に国道45号線久慈バイパスの工事で偶然発見された奈良~平安時代を中心とした集落遺跡です。古代の住居跡や琥珀製玉類未製品を含む遺構で、平安時代初期とみられる古代の琥珀製玉類生産工房跡であることが解明されています。琥珀原産地における工房跡の発見は、古代の琥珀流通経路"アンバールート"解明の重要な手がかりとして全国の考古学者から注目されています。

牛島(侍浜町麦生地区)

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牛島は、久慈湾北側の岬「弁天鼻」の先端に位置する標高63m×面積100㎡程の離れ小島で、内海側は赤松に覆われ、外海側は断崖絶壁で、島の頂部に昭和30年に建設された"久慈牛島灯台"があります。牛島の周辺の岩はおよそ1億3千万年前(前期白亜紀)に地上に流れ出した溶岩からなり、島の周囲には荒海の侵食でできた"海食洞"が複数みられます。名称の由来は、アイヌ語のウシ=入江・湾の意と言われていますが、俗に牛が寝そべった姿に似ているからとの説もあり、久慈湾のシンボルとして親しまれています。

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