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津波記念碑のご紹介

久慈市には過去の災害を教訓とするため、震災・復興の記録を残す取り組みを進めています。

市内には過去の津波災害を後世に残すため、津波記念碑が点在しており、その記念碑に刻まれている祖先からのメッセージをご紹介します。

昭和八年 津浪(つなみ)記念碑

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久慈市侍浜町白前(1933 昭和三陸地震)

昭和9年3月3日に建立され、施主は岩手県九戸郡侍浜村役場。

表面には、上部に朝日新聞社社旗、その下に石黒県知事の和歌「大津浪くくりて めげぬ雄心持て いざ追い進み 参い上らまし 英彦」と刻まれ、裏面には、義捐金の額、被害状況、復旧事業費などが掲載されています。

 

昭和八年 津浪(つなみ)記念碑

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久慈市侍浜町白前(1933 昭和三陸地震)

昭和9年3月3日に建立され、施主は岩手県九戸郡侍浜村役場。

表面には、上部に朝日新聞社社旗、その下に石黒県知事の和歌「大津浪くくりて めげぬ雄心持て いざ追い進み 参い上らまし 英彦」と刻まれ、裏面には、義捐金の額、被害状況、復旧事業費などが掲載されています。

 

 

海嘯(かいしょう)記念碑

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久慈市夏井町大湊(1933)

久慈市漁業協同組合夏井出張所の手前に建つ紀念碑で、昭和9年1月3日建立、施主は夏井村役場。碑文には、明治29年と昭和8年の三陸津波の被害状況や教訓および、東京朝日新聞社から紀念碑建設費の寄贈を受けたことなどが刻まれています。

なお、海嘯とは、河口から川を逆流して入ってくる潮波のことで、昭和初期までは震災津波も海嘯と呼んでいました

 

 

海嘯(かいしょう)溺死者記念碑

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久慈市湊町・長寿庵 (1896 明治三陸地震)

長寿庵の境内山側に建つ供養塔で、枯山水の山のごとき姿の堂々とした天然石が用いられています。しかし、供養塔の裏面が長年の間に崖と密着してしまい、裏面の碑文の有無と建立年が不明なままになっています。

 

 

防潮林記念碑

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久慈市湊町・金刀比羅神社(1896 明治三陸地震・1933 昭和三陸地震)

昭和13年4月24日建立、施主は湊部落発起者。碑文概要には「・・・時の政府は明治29年と昭和8年の海嘯惨害の甚大さを鑑み、防止策として防潮林造成の必要性を認め、国庫補助県営事業として計画を樹立した。当地区の工事は昭和12年10月に着手し、面積3町余里に黒松23,000本を植栽して翌年3月に竣工した・・・。」を刻まれ、工事関係者らの氏名が刻まれています。

 

昭和八年 津浪(つなみ)記念碑

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久慈市湊町・金刀比羅神社 (1933 昭和三陸地震)

昭和9年10月17日建立、東京朝日新聞社寄贈、施主は久慈町。表面は、石黒県知事の和歌「大津浪くくりて めげぬ雄心もて いざ追い進み 参い上らまし 英彦」が刻まれ、裏面には、津波襲来の様子、今回と明治29年の被害状況と損害額、救援艦の来航、天皇の勅使から御内帑金(ごないどきん)と御伝達を賜わり、宮家からは御慰問金を賜わったこと、もって毎年3月3日に大国旗を掲揚し永く記念することにしたことなどが刻まれています。

 

津波記念碑

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久慈市湊町 金刀比羅神社大鳥居前(1896 明治三陸地震・1933 昭和三陸地震)

大鳥居の前脇にある横型の記念碑で、昭和46年6月5日建立、施主は久慈市。正面の文字を千田県知事の書で刻み、裏面には、山内久慈市長の書で、明治29年と昭和8年の死者数および被災状況、昭和8年に防潮堤を構築したこと、また、有志の発願によりこの慰霊の碑を建立し、宿命的な惨事を再び繰り返さないように祈念することなどが刻まれています。

 

昭和八年 津浪(つなみ)記念碑

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久慈市長内町諏訪下 (1933 昭和三陸地震)

昭和11年3月3日建立、施主は長内村。表面は、石黒県知事の和歌「大津浪くくりて めげぬ雄心持て いざ追い進み 参い上らまし 英彦」が刻まれ、裏面には、被害状況、天皇勅使から救済の資を賜ったこと、全国から同情と支援が集まったこと、また、村民の奮励努力で災後の復興を誓ったことなどが刻まれています。

 

昭和八年 津浪(つなみ)記念碑

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久慈市宇部町小袖 (1933 昭和三陸地震)

昭和9年3月3日建立、施主は宇部村。表面は、石黒県知事の和歌「大津浪くくりて めげぬ雄心持て いざ追い進み 参い上らまし 英彦」が刻まれ、裏面には、生々しい津波襲来の様子、天皇勅使から救済の資を賜わったこと、全国から同情と支援が集まったこと、住民はこれまでの津浪災禍を追憶して警戒防災に備えること、また、東京朝日新聞社の義捐金でこの碑を建立したことなどが刻まれています。

 

昭和八年 津浪(つなみ)記念碑

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久慈市宇部町久喜 (1933 昭和三陸地震)

昭和9年3月3日建立、施主は宇部村。表面は、石黒県知事の和歌「大津浪くくりて めげぬ雄心持て いざ追い進み 参い上らまし 英彦」が刻まれ、裏面には、生々しい津波襲来の様子、天皇勅使から救済の資を賜わったこと、全国から同情と支援が集まったこと、住民はこれまでの津浪災禍を追憶して警戒防災に備えること、また、東京朝日新聞社の義捐金でこの碑を建立したことなどが刻まれています。

 

東日本大震災モニュメント “ケルン・鎮魂の鐘と光"

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久慈市長内町・すわ緑地 (2011 東日本大震災)

すわ緑地(通称JC公園)は東日本大震災の津波で遊戯具などを全半壊しました。その後、地元「NPO法人久慈ケルンの会」の募金活動により「東日本大震災モニュメント・ケルン・鎮魂の鐘と光」の建設を開始し、平成27年3月10日に完成しました。ケルンは、久慈南海岸を襲った津波の水位とされる14.5mで建設されており、3月11日午後2時46分に太陽の光が差し込むよう、その入射角に合わせた貫通孔があけられています。

 

 

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